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東京高等裁判所 昭和36年(う)1204号 判決

控訴人 被告人 和久井尚一

弁護人 尾崎陞

検察官 堀口春蔵

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

原審未決勾留日数中三〇日を右本刑に算入する。

原審並びに当審訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人尾崎陞、提出の控訴趣意書並びに同補充書記載のとおりであるから、これをここに引用し、これに対し、次のとおり判断する。

控訴趣意第一点について、

所論によると、原判決は、被告人が被害者の道路中央に佇立して自動車の通過を待つていたのを発見しながら何等除行の措置を執らず、漫然同一速度を以てその前方を通り抜けようとしたことに業務上の過失があると判示する。然しながら当時、被害者は被告人の自動車の進行方向右側から左側に向いて道路中央に立ち、その時対向して進行する車もなかつたのであるから、この様な場合、被告人において被害者が道路を右から左へ横断しようとして被告人の運転する自動車を認め、その通過を待つて佇立しているものと判断したのは当然である。しかるに、被害者は被告人の自動車がその直前に来たところ、酒に酔つていたのでふらふらと前に体をのり出し、その結果偶発的に本件事故を発生したものであるから、被告人にとつて全く予見できない事故であつて、被告人には何等過失がないと主張する。よつて所論に基き本件記録を精査して検討するに、被告人は原判示のとおり、時速約四〇粁で原判示国道を進行中、道路中央に佇立していた被害者東孝平を発見したのに拘わらず、何等除行措置を執らず、同一速度を以つて同人の直前を通り抜けようとしたところ、同人が急に自動車の進路に進み出たので、自動車の右側車体を同人に突き当て、よつて原判示の如き傷害を与えたものであることを明認できる。このように自動車の往来する道路を横断しようとして、その中央まで進み出た歩行者が自動車の接近し来るのに気付き立止まつた場合においても、常に必らずしも、そのままの姿勢で佇立し、自動車の通過を待つものとは限らず、何等かの衝動に基き突然、前進する場合のあることは日常経験するところである。いわんや本件の場合、証人清水誠市に対する原審証人尋問調書によると被害者は本件事故の発生直前、酒に酔つた風で道路中央に立ち、手を振りながら交通整理のような格好をしていたことが認められるので、被告人にして前方注視の義務を怠らなければ、右の如き挙動により酒に酔つた被害者が突如自動車の進路に進み出ることのあるのは、当然予見し得たところであるから、その動静に細心の注意を払い、右の如き場合、直ちに臨機の措置を講じ、以て危険の発生を未然に防止し得る如く、速力を減じ、佇立者と相当の間隔を保ちつつ通過する等の業務上の注意義務の存することは言うを俟たないところである。然るに、被告人は右注意義務を怠り、漫然四〇粁の速度のまま、その前方を通り抜けようとした過失に基き本件事故を惹起したものであるから、到底過失の責を免かれない。よつて原判決が被告人に対し原判示の如き業務上過失の責任を認めたのは正当であつて、いささかも事実を誤認し、不当に過失の責任を認めた違法は認められない。論旨はその理由がない。

控訴趣意第二点の(ロ)の同補充書の一について

所論によると、原判決が被告人の被害者東孝平を遺棄した所為と同人の死亡の結果との間に因果関係の存在を認めたのは事実誤認であり、且つ、審理を尽さず判断した違法が存すると主張する。よつて所論に基き本件記録を精査し、原判決挙示の証拠に照らして勘案するに、被害者は被告人操縦の自動車に跳ね飛ばされ、アスフアルト鋪装の車道上に顛倒し、頭部を強打し原判示の如き重傷を負つて意識を失つたものであり、たとえ所論の如く被告人の「大丈夫か」との問に対し「うん」と答えたとしても、そのまま放置しておいて自力で恢復歩行するに至るが如きことは到底期待し得ない状態にあつたことを認め得るのである。然るに、被告人は被害者を抱きかかえて歩道上まで運び、深夜同所にそのまま放置して立ち去り、その結果、被害者は無意識の内に苦悶反転している内、同所から約二米離れた側溝に顛落し溺死するに至つたものと推認するに十分である而して右の如く意識を失つた重傷の被害者を人通りの尠い道路上に放置するときは、右の如き結果の発生することのあるのは通常人の容易に予見し得るところであるから、被告人の遺棄の行為と、被害者の死の結果との間に相当因果関係の存することは自明であつて、原判決の認定は相当であり、何等審理不尽ないし事実誤認の違法は認められない。それ故論旨は理由がない。

控訴趣意第三点同補充書の二について、

所論によると、原判決は被告人が道路交通法第七二条第一項前段の規定により、刑法第二一八条第一項にいわゆる病者を保護すべき責任ある者に該当するとして保護者遺棄致死の罪責を負わせたものであるが、道路交通法に言う救護責任と、刑法第二一八条第一項前段に言う保護責任とはその性質が異るものであつて、被告人に道路交通法の救護義務があるからといつて、直ちに刑法第二一八条第一項の保護責任があると言うことはできない。また仮りに救護責任と保護責任が同性質のものとしても、被告人には被害者が負傷の結果救護を要する状態にあつたとの点についてはその認識を欠いていたものであるから、救護責任は発生しないと主張する。よつて按ずるに、原判決挙示の証拠により認めうる、被告人は自己操縦の自動車で被害者を跳ね飛ばしたことを知り、自から下車して意識を失つて倒れている被害者を車道上から歩道まで運び、そこにそのまま放置して運転を継続し、その際、同乗者である橋元盛に対し、事故の口止めをした事跡に徴し、被告人は被害者が傷害を蒙り救護を要する状態にあつたことを知悉していたものと認めるのが相当である。而して、自動車の操縦中過失により人に傷害を与えた者は、道路交通法第七二条第一項前段の規定により、直ちにその運転を停止し、負傷者を救護する義務が定められているから、右は正に刑法第二一八条第一項に言う病者を保護すべき責任ある者に該当すると言うべきである。(昭和三四年七月二四日第二小法廷判決参照)所論によると、刑法第二一七条の保護責任は継続的にその費用を似つて病気が治癒するまで保護しなければ罪責に問われるに反し、道路交通法による救護義務は応急的救護措置を執れば足るものであつて、両者の責任は異なると主張する。然しながら、本件の場合被告人が刑法第二一八条第一項にいわゆる保護責任者に該当することは前説示のとおりであり、刑法第二一八条の規定によつては、同条の保護責任が継続的に保護する責任ある場合に限定される趣旨であるとは認められず、応急的に保護責任の発生した者についても、なお適用のあるものと解するのが相当である。それ故、原判決が被告人に対し刑法第二一八条第一項の規定による保護責任者遺棄の責任を認めたのは正当といわねばならない。なお、所論によれば、被告人は被害者を危険な車道上から歩道上まで運び様子を確めたのであるから、被告人の所為は刑法第二一八条にいわゆる遺棄に該当しない旨主張する。しかしながら被告人は論旨第二の(ロ)に対し説示したとおり、被害者を歩道上まで運んだままその場を立去つているのであつて、同条にいわゆる遺棄とは所論の如く同条に規定する要保護者を必ずしも場所的に移転し或は要保護者を置去りにした場所が他人の救助を期待し得ないような地点であることを要するものではないから、被告人の所為が、刑法第二一八条にいわゆる遺棄にあたることは明らかであり、原判決には所論の如き法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点の(イ)同補充書の一及び第四点について、

所論によると被害者は本件自動車事故により車道上に倒れたのであるから、被告人の業務上過失の行為によつては被害者が歩道上の側溝に落ちて溺死することはなかつた筈である。さすれば、被告人の過失行為と被害者の溺死との間には相当因果関係を欠くものであるから、被告人に業務上過失致死の罪責を問うためには、本件事故により被害者が蒙つた傷が生命にかかわる程度の傷であつたかどうかにつき審理判断すべきであるに拘わらず、この点につき何等審理判断を加えず、被告人に対し業務上過失致死罪の成立を認めた原判決は審理不尽の結果事実を誤認したものであり、且つ、原判決が被告人に対し業務上過失致死罪と保護者遺棄致死罪の成立を認め、右の二罪を併合罪として処断したのは被害者の死という一個の結果に対し二重の法的評価を加えたものであつて、法令の解釈適用を誤つた違法があると主張する。よつて審按するに、本件において、仮りに被告人がその業務上の過失行為により被害者を車道上に顛倒させ、傷害を与えなかつたならば、被告人は右被害者を同所脇の歩道に運び、これを放置することはしなかつたであろうこと、従つて、その結果、被害者が歩道上を転々として側溝に落ち溺死することもなかつたであろうことは明白である。それ故、被告人の過失行為と被害者の死の結果との間には、自然的因果関係の存在することはこれを否定し得ないであろう。しかしながら、本件の場合の如く被告人の業務上の過失により被害者に傷害を負わしめ、その傷害を与えたがために被告人に当該の被害者を保護すべき責任が生じたにも拘らず同一被告人による要保護者遺棄という新たな可罰的行為が加わり、その結果、死の結果を発生させた場合、即ち要保護者遺棄行為が介入することなく、保護責任者として病者たる被害者を保護していたとすれば、被害者をして溺死させるという結果を防止し得たと認め得るに拘らず、敢てその所為に出なかつたがために被害者をして溺死せしめ、そのことを事由として要保護者遺棄致死の罪責を問われる場合には、死の結果に直結する後の因果関係のみが刑法上重要であつて、かかる場合には業務上の過失により被害者に傷害を与えた行為は、被害者の死の結果に対し刑法上原因を与えたものとは解し難いものと解するのが相当である。そして、若し然からずとすると被害者の一個の死に対し、被告人に対し二重の刑責を問うことになつて不当である。しかして、本件の場合は被告人の業務上の過失によつて蒙らせた傷害自体が直接の死因となつたのではないから、被告人の業務上過失の所為により被害者の蒙つた傷害がそれ自体生命に関する程度のものであるか否かは右の結論に影響を及ぼすものでない。以上の次第であるから、被害者の死の結果については被告人に対し遺棄致死の責任のみを問うべきであつて、業務上過失の所為については因て蒙らせた傷害の結果についてのみ責任を負うべきものと解する。してみると、被告人に対し同時に業務上過失致死及び保護責任者による遺棄致死の罪の各成立を認めた原判決は法令の解釈を誤り延いて事実を誤認した違法があり、右は固より判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の控訴趣意に対する判断を俟つまでもなく、原判決はこの点において失当としてこれを破棄すべきものである。論旨は理由がある。

よつて本件控訴は理由があるので、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条、第三八〇条、第四〇〇条但書に則り原判決を破棄し、当裁判所において自から次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は前橋市萱町二九番地清水建設株式会社前橋出張所に自動車運転手として勤務していたものであるが、

第一、昭和三五年一二月一八日午後三時頃、被告人が以前勤務していた前橋市横山町四七番地青果物商八百菊の店員橋元盛から頼まれ、同人を助手席に乗せ、同店所有の小型貨物四輪車(群四す七、三四五号)を運転して東京都神田市場に行き、蜜柑、約五〇〇貫を積んで帰途につき、前橋市方面に向け、時速約四〇粁で一七号国道を進行中、同日午後十時頃、埼玉県大宮市大成町三丁目四一一番地先に差しかかつた際、道路の中央に佇立して自動車の通過を待つていた東孝平(当五二年)の姿を約二六、七米前方に認めたが、かかる場合、自動車運転者たるものは絶えず前方を注視し、佇立者の動静によく注意し、速力を相当に減じ、佇立者が移動することがあつても直ちに臨機の措置のできるよう停立者から相当の間隔を保つて進行する等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず、何等除行の措置を執らず、漫然同一速度を以て右停立者の直前を通り抜けようとした業務上の過失により、自動車の直前に進出した右東孝平に本体の右側ライトの上部を接触させ、よつて同人に対し左前額部に長さ約五糎深さ骨膜に達する挫創、左眼瞼部外側に長さ約三糎の骨膜に達する挫創等の傷害を与え、

第二、前記第一掲記の如く、被告人の惹き起こした交通事故のため、東孝平が前記のように頭部、顔面等に傷害を受け脳震盪を起し意識障碍を来したため、独力による正常な起居動作が不可能に陥つたので、同人を保護すべき責任があるのに拘らず、医師の手当を求める等同人に対する救護措置を執ることなく、同人を車道上から歩進上に運搬して放置したまま自動車の運転を継続して同人を遺棄し、よつて同人が意識障碍のまま歩道上を反転する内、右放置場所から約二、一米東方に距つた幅四〇糎、深さ約四〇糎(水の深さ約二〇糎)のコンクリート製側溝内に身体を顛落させ、同人をして同側溝内の汚水に顔面をつけ遂に溺死するに至らしめ、

たものである。

(証拠の標目)

原判決挙示の証拠の外

一、当審で取調べた証人湯沢敏、同清水誠市の各供述

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示第一の所為は刑法第二一一条前段罰金等臨時措置法第二条第三条に、判示第二の所為は刑法第二一八条第一項の罪を犯し、よつて人を死に致したものであるから、同法第二一九条第一〇条に従い、右第二一八条第一項所定の刑と、同法第二〇五条第一項所定の刑を比較し、重い後者の刑に従い、第一の罪につき所定刑中禁錮刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文第一〇条により、重い第二の罪の刑に同法第四七条但書の制限に従い法定の加重をなし、なお、被告人についてはその状情憫諒すべきものがあるので、同法第六六条第七一条第六八条第三号を適用し、酌量減軽をした刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、原審未決勾留日数の算入につき刑法第二一条、原審並に当審訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 山本謹吾 判事 目黒太郎 判事 深谷真也)

弁護人尾崎陞の控訴趣意

第二点の(イ) 原判決は被告人の業務上過失致傷と被害者の死との間に因果関係ありと判断した。しかるに本件事故により被害者の負つた傷が生命にかかわる程度の傷であるかどうかについて何ら審理していない。すなわち被害者の傷が生命に関する程度のものでなく、被害者が側溝に入らなかつたならば、死に致らなかつたとすれば業務上過失致死とはいえない。被害者は本件事故により、車道上に倒れたのであるからその被告人の行為によつては被害者が溺死することはなかつたのである。さすれば被告人の行為と被害者の溺死との間には相当因果関係は存在しない。被告人に過失致死の罪責を問うには本件事故により被害者が負つた傷が致命傷であつたか否か判断せねばならない。右判断をなさずに被告人に業務上過失致死を適用したのは審理不尽事実誤認がある。

補充書一 原判決には「………右傷害のため手足の動作が意のままにならず………側溝内に身体を顛落させ」と判示し、更に弁護人の因果関係なしとの主張を排斥して「かような被害者が受傷にによる苦痛を訴え、又は出血多量のため渇を覚え、意識モウロウの間に身体を転々させ歩道上をのたうち廻ることあるべきこと一般人の知識経験により認識し得るところである。」と判示した。しかし被害者が本件受傷による「苦痛を訴え又は出血多量のため渇を覚え」身体を転々とさせたとの証拠はない。当夜被害者は相当酒に酔つていたので酔つ払つて身体を動かしたことも推測されるのである。即ち第一審証人清水誠市は「被害者はどの位酔つていたようでしたか 歩けない程ではありませんが、足がふらふらしており相当に酔つていたようです。それで危険だと思つたので、その小父さんに「帰つた方がよい」と言つて人道の方へ連れて来ました」と述べている。又被害者の妻も当夜被害者は焼ちゆう一合を飲んだと供述している。仮りに酩酊のため動きまわつて側溝に落ちたとすれば、溺死と受傷との間に因果関係はない。しかるに本件発生後捜査当局は、被害者の酔いの程度につき何等科学的な捜査も行われず、原審においても、漫然と、受傷のため歩道上をのた打ち廻り、この結果側溝に落ちたものと認定したものであり、審理不尽のそしりを免がれない。

第四点原判決は被告人を業務上過失致死と保護者遺棄致死の併合罪に該当するとしたことは法令の適用を誤つたものであり破棄を免れない。

被害者東孝平の死という一個の結果に対し、業務上過失致死と保護者遺棄致死という二罪を併合罪として二つの刑責を科すことは、一人の者を被告人が二回死なせたということになり全く不合理である。被告人の行為は時間的にも接着した連続行為であり、しかも致死という結果は一つである。これに対し二つの法的評価を加えて併合罪として処断したことは刑法第四五条、第五四条の解釈適用を誤まつた違法がある。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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